うつなわたしのブログ

年々鬱々な日記帳

まなざし

私という自己がもっている感情、記憶、経験、そほれらの複合的な観念、それらを複合した意識、はたまた、それらがある段階で抑圧されたことによって沈み込んでいる無意識や潜在意識…。これらの総合が私という自己を作り上げているのだが…。

どうやら、厄介な問題は、今ある意識がどれだけ前向きであろうとも、過去に引き伸ばされて保存され、蓄積され、複合的に姿形を変える変幻自在の(それでいて限定的な)バケモノをさほど真剣に飼いならすことをせずに放置したまま何か良くなるのではないかと楽観視する現在進行形の私という存在の生命的慣性が、相反するような分裂したわたし、批判するわたし、喜んで(慣性に矛盾)足を引っ張るわたし、誰かの禁止令、ある信念(観念的な)のような者たちと常々、ありとあらゆる瞬間、生きているうちのあらゆる瞬間、瞬間、相克におけるコンマの世界において自己のうちに刻まれる中のリズムの調子を狂わせること。生きにくさの正体を時間的マクロの視点で捉えてたとしても、こういった慣性に逆らう無意識の中の複雑な私たちと、それらの存在理由(防衛機制など)が、ひとつ、大きなわたしという自己の生きにくさという表面化の因果であること。

原因を、精神分析的な土台から仮説に昇華して、その仮説を元に思考・行動・パターン変化における私的実験、そしてレポートを書き、より実践的な自己理解に基づく安定した自己(自信)の構築がいま、迅速にもとめられている。