うつなわたしのブログ

年々鬱々な日記帳

赤信号

インテリアのイメージも赤信号。

半端にしかならないことをしたところで、しかも明確な目的がないまま不明確なことをしたところで。刹那の満足のために物体を置くのはやめた方がいい。コミュニケーションが青信号なのに、また内側へと構築するのはどうして。内側でコミュニケーションがとれるようにするための明確なコンセプトもなしに。なら、物体はやめて、コト消費すべし。やはり、まだ消費することに対して根本的に麻痺している。いままではそれでなんとかなってきているから、麻痺していることに気づいていない。

すべきができないのに、妄想と空想だけ膨らむ状態。これらは全て赤信号。やろうと思えば渡って行けるのに、赤信号のせいにして、その場から動かない。そして、空想だけ膨らむ。

空想は空想。いろいろなモデルを見てきたいま、半端なそれで満足できるわけがない。満足できなければ、それらぶったいは結局、足を引っ張る、足枷のようなものになるのは、わかりきっていることである。そんな半端なものはなんの癒しにもならない。

本当の癒しは、半端さの中には落ちていない。それは、コミュニケーションのなかからリアルなイメージで迫ってくるもの。であれば、赤信号は赤信号とわりきれる、いままでの小規模なスペースと、ものたちで癒しを得るのが1番賢いのかもしれない。