うつなわたしのブログ

年々鬱々な日記帳

もはや

関わる人をぐっと狭く、厳選していく必要がある。誰にでも心を開いて、誰の話にも耳を傾けるなんていうことは、これからの人生では不要となった。33歳になった。これからの人生は全てわたしの心を、いままでの3倍以上尊重しながら生きていこう。

わたしのことを低く評価する人達や、無意識のうちに自分の人生に巻き込み利用しようとする善意の輩たちとも関わらなくて良い。そんなところに楽園はないし真実もない。

そしてやっかいな社会通念というみえない意識に対してますます敏感になり、それを上手に避けてわたしを見つめなければならない。

わたしは、わたしのために生きなければならないのであって、それが第一の幸福の条件であるということを、社会通念は、それが嘘であると信じ込ませようとするのであるからまさにわたしにとっての見えない敵といえる。

手元にある携帯電話。精々2.30人が登録されているだろうか。なんて薄っぺらい人生だろう。そんな小さな枠組みの人達といったいなにを語り合えるのだろう。そんなところには恐らくなにも落ちていない。目を外に向けたほうがいい。人間関係をあえて白紙に戻してリセットしたところで、また同じ2.30人が集まってくるだけなのは明白である。そうではなく、目を外に向けるべきだ。つまらない小さな人間関係の輪に拘るのは、わたしがその輪の内側においてのみ賞賛を得るのが楽であって、その楽さゆえにその輪に囚われているからであって、決してほんとうの精神の自由というものを得ることはできない。あまりにも狭すぎる世界でいったいこれ以上何が得られるのだろう?たんに嫌な気持ちを味わうだけである。それに、そんな小さな枠組みのなかにいる人たちは、決して多くの真実を受け入れられるだけの器は備わっていないので、結局はその人自身を守るために矮小な世界観をわたしに押し付けようとするのだ。

わたしははっきりと、そこから離脱しなれけばならない。大空に手を伸ばす。

あらゆる人間ごとの矮小さに意味はない。