うつなわたしのブログ

年々鬱々な日記帳

必要な10年

不安は10代から始まって、理性的に不安の正体が妄想だと証明するのにそこからさらに10年必要だった。絶望ではないことを確かめるために必要な年月であった。

いま、その不安が最小限に抑えつつ生活できていることも、ベースになった10年、15年という膨大な時間のおかげである。

本当に安定軌道に入ったのは30を過ぎて、数年すぎた今だとおもう。

いま普通を手に入れることができたが、捨ててしまった歳月をこれから普通に取り戻そうとするのは現実的ではないし、わたしの望むところでもないからそれは諦めるしかないだろう。

お金も時間も失った、得たものは不安の減少と少しの自信。これをもって戦いを始める。

したいことと、したくないことの狭間のストレスに身を投じる。未だに脳内にこびりつくものを振り払ってゆく。それをできるだけの準備はもうできてる。