決定的に違う
ひどく甘えていること。状態に甘んじてなに一つ本気で取り組んでいないこと。そのわけをあらゆることのせいにしてきていたけれども、これからはなんのせいにすることもできなくなってきていること。
まだ時間と選択肢と悩む時間があると思っている。宿題とか、試験とか、なにか締め切りがあるものについてギリギリまでしないでいて、前の日になってから急いで本番を迎えるような、山師的な生き方がそのまま人生にも当てはまられようとしてる。生き方のパターンをすでに決めているのかもしれない。
したいことなどない。
なにかあればラッキー。
最後は一人でどこか遠くへ。
結婚はしない。
子供も欲しくない。
友達も今までの関係で十分。
自分の未来を作ろうとは思わない。
社会人としての責任感はない。
暇な時間は誰かの時間で動くけど、人の為ではなく、暇を潰してるだけ。
人に何かをするのは自尊心のため。
自分からはなにもしない。
あらゆる興味がない。
劣等感まみれ。
軽蔑。
自分を高める生き方というものがブームで、あらゆる手法や考え方が陳列されている。好きなものをその日その日の気分で手にとって、新しい自己になった気になる。
それが人間の本質で、これがわたしの道、これがわたしの生きる意味などとはっきり理解している人間は取り憑かれか、非常に聡明なのか、どちらにせよおめでたい話である。
なにが真面目に生きるだ、なにが家庭を守るだ、なにが幸せになりたいだ、そんなものは全部幻想であるのに。人は死ぬまで都合のよい自分勝手な解釈をし続けながら生きる生き物である。それがわかっているので、わたし自身いやになるのだ。本当にこれでよかった、後悔はないなんて言えるものがあるわけがないではないか。みな、嘘に生きて嘘に死ぬのだ。
そして、あらゆることは幻のなのに。